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ALBERTO Shiroma アルベルト城間 |
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日本有数の移民県である沖縄。戦前、南米やハワイには多くのウチナーンチュが渡り、 苦労を重ねてその土地に根づいてきた。 ラテンロックバンド・ディアマンテスのアルベルト城間は、 沖縄からの移民の3世として、ペルーのリマで生まれた。 彼の遠い記憶の中には、三線を弾く祖母の姿もあるという。 「不思議とペルーにいるころから、嘉手苅林昌さんの声は知ってたし、 前川守賢さんの曲も知ってました。 でもその頃僕が聴いていたのは、アメリカンポップスやラテン歌謡でしたね」 アルベルトは、日系人の歌謡コンクールで最優秀ボーカル賞を受賞して、 賞品の東京往復航空券を手に日本を訪れた。 東京では演歌歌手を志すも挫折。 その後、祖父母の故郷・沖縄を訪れて、歯車はゆっくりと回り出した。 「沖縄を知るためには音楽をやるのが一番だと思って、古典音楽を始めました。 その頃は苦しくて、ただ耐えるしかなかったけど、今思うとそれが良かった」 当時住んでいたのは、芸能の盛んな南風原町。のどかな田舎の風景には、 かつて祖父母が見たであろう沖縄の風景が重なった。 「こんな小さな島から、遠い国に移民に出るパワーがどこにあるのか」と考えていたという。 その後、県立芸術大学への入学を目指すも、ペルーと日本の教育制度の違いから断念。 軌道に乗りつつあった、ディ アマンテスの活動に専念することになった。 「その当時は、もう音楽で生活してたし、そこで改めて高校に通うことは考えられなかった。 だから大学を諦めて、ギター一本でやっていくって、決めたんです」 ディアマンテスは、沖縄の移民の歴史の一つの証。 米軍基地内のヒスパニック系の人達からの支持が集まり、 ディアマンテスの周辺は急速に過熱していった。 また同時にラテンサウンドと沖縄のフレイバーをミックスした新たな音楽は、 地元でも熱狂的に迎え入れられ、 遂に1994年アルバム「オキナワ・ラティーナ」で全国デビューを果たした。 「ディアマンテスの音楽は、形はラテンでも精神はウチナーンチュだと思います。 沖縄の移民の歴史の一つの証だとも思います」 2002年1月には、2枚目のソロアルバム「habanera」を発売 アルベルト城間 |
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この日は某飲料メーカーの宴で、一緒になりました。みんなからのしつこい(笑)リクエストに応えて、新曲を披露してくれました。アルベルトの澄んだ歌声が、青空に吸い込まれていくようでした。サイコ−!! | |||||||||||||||||||
参考文献:沖縄タイムス、琉球新報 | |||||||||||||||||||
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