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宝ナイスガイin OKINAWA     UNIQUES27
ALBERTO Shiroma
アルベルト城間
日本有数の移民県である沖縄。戦前、南米やハワイには多くのウチナーンチュが渡り、
苦労を重ねてその土地に根づいてきた。
ラテンロックバンド・ディアマンテスのアルベルト城間は、
沖縄からの移民の3世として、ペルーのリマで生まれた。
彼の遠い記憶の中には、三線を弾く祖母の姿もあるという。
「不思議とペルーにいるころから、嘉手苅林昌さんの声は知ってたし、
前川守賢さんの曲も知ってました。
でもその頃僕が聴いていたのは、アメリカンポップスやラテン歌謡でしたね」

アルベルトは、日系人の歌謡コンクールで最優秀ボーカル賞を受賞して、
賞品の東京往復航空券を手に日本を訪れた。
東京では演歌歌手を志すも挫折。
その後、祖父母の故郷・沖縄を訪れて、歯車はゆっくりと回り出した。
「沖縄を知るためには音楽をやるのが一番だと思って、古典音楽を始めました。
その頃は苦しくて、ただ耐えるしかなかったけど、今思うとそれが良かった」 
当時住んでいたのは、芸能の盛んな南風原町。のどかな田舎の風景には、
かつて祖父母が見たであろう沖縄の風景が重なった。
「こんな小さな島から、遠い国に移民に出るパワーがどこにあるのか」と考えていたという。
その後、県立芸術大学への入学を目指すも、ペルーと日本の教育制度の違いから断念。
軌道に乗りつつあった、ディ アマンテスの活動に専念することになった。

「その当時は、もう音楽で生活してたし、そこで改めて高校に通うことは考えられなかった。
だから大学を諦めて、ギター一本でやっていくって、決めたんです」

ディアマンテスは、沖縄の移民の歴史の一つの証
米軍基地内のヒスパニック系の人達からの支持が集まり、
ディアマンテスの周辺は急速に過熱していった。
また同時にラテンサウンドと沖縄のフレイバーをミックスした新たな音楽は、
地元でも熱狂的に迎え入れられ、 遂に1994年アルバム「オキナワ・ラティーナ」で全国デビューを果たした。
「ディアマンテスの音楽は、形はラテンでも精神はウチナーンチュだと思います。
沖縄の移民の歴史の一つの証だとも思います」 

2002年1月には、2枚目のソロアルバム「habanera」を発売
また、ディアマンテスのとしては、結成10年のメモリアルアルバム
「LIBRE  リブレ〜自由〜」を発売。
今、ノリに乗っているアーティストの一人である。

アルベルト城間
日系3世として、南米ペルーのリマ市で生まれる。ラテンロックバンド・ディアマン テスのボーカリスト。
1994年アルバム「オキナワラティーナ」で全国デビュー。
沖縄 市を拠点にグローバルな活動を展開中。ディアマンテスとは、
スペイン語で“ダイアモンド”。日々磨き上げられる、
沖縄のダイアモンドは、これからさらに輝きを増していくに違いない。

この日は某飲料メーカーの宴で、一緒になりました。みんなからのしつこい(笑)リクエストに応えて、新曲を披露してくれました。アルベルトの澄んだ歌声が、青空に吸い込まれていくようでした。サイコ−!!
参考文献:沖縄タイムス、琉球新報
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